2008年02月09日 (土) | 編集 |
今日すごい雪降ってたね。

寒い{{{{(+_+)}}}}
寒い{{{{(+_+)}}}}
でも、これくらいで寒い寒いと言ってたら、
雪国の人に怒られちゃうね。
神戸はあんまり雪が降らないので、
雪が降るとちょっと嬉しくなっちゃいます。
積もるともっとハイテンション

でもここ何年も雪が積もった・・・・って記憶がないな〜。
今日もこんなに降ってるのに全然積もらなかったし。
雪の性質が・・・・と、母は言っていたけど。
いつまでこの寒さは続くんだろうね。
近いうちに史跡巡り行こうと思ってるから、
天気予報はちゃんと見てたほうがよいね。
凍え死んじゃうかもしれんし(;>_<;)
みなさんも路面凍ってるかもしれないですから気をつけてね〜
風邪にも。
って、うち・・・・・朝から鼻ばっかかんでるや。
そういや・・・・寒気も{{ (>_<) }}
2008年02月07日 (木) | 編集 |
「平野八幡神社」


住所⇒兵庫県神戸市西区平野町慶明184(地図)
アクセス⇒神姫バス「西高前」下車、徒歩すぐ
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−平野八幡神社由緒−
当社は、白雉4年(653)9月15日、豊前国宇佐八幡宮より勧請・創建され、
嘉祥元年(848)に社殿を再建した・・・・と記録が残っています。
慶安元年(1648)、徳川将軍より御朱印領・高九石を下され、
その後明石藩主松平兵部大輔以来万延元年(1860)までの二百十数年、
御朱印領として栄えました。
−−−−−−−−−
当神社北の台地に三木別所方の福中城があり、天正6年(1578)織田信長の軍勢が
三木城を攻める時に、この城から、古三木街道の神出との境(矢の坂)に陣取った秀吉軍に
矢をはなったため、所在が解ってしまい落城したとの話が残されています。
その時の矢は現在も神社に残されています。
−神戸の神社・説明板より−
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−境内−
(石燈籠)

享保四巳亥年(1719)八月十五日の銘があります。
(太鼓蔵)

(狛犬)

文化十二・・・??かな?読みづらくて解らないですm ( _ _ ) m
(拝殿)

(本殿)

祭神は玉依姫命・気長足姫命・譽田別尊・足仲彦尊・大鷦鷯尊。
−境内社−

左から猿田彦大神・加真都智大神・天照皇大御神・伊弉諾大神・春日四柱大神が祀られています。

蛭子大神が祀られています。

詳細は解らないですが、稲荷様かな??
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「能舞台」



江戸中期の元禄時代以降から明治時代末期まで一般市民が歌舞伎や能舞を演じて楽しんだといいます・・・・・って事は現在は使われてないって事かな??
−−−−−−−−−−−−−−−
祭典行事⇒元旦祭(1月1日)、厄神祭(1月18・19日)、春祭り(4月15日)、
秋祭り(10月第2土・日曜日)
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オススメ度☆★★★★
この神社の近くには慶明寺や、まだ行ってない(行きそびれてしまった)けど
日輪寺や若宮神社や・・・・他にもたくさん訪れたい場所があります。
是非ご一緒に♪
私も近いうちにまた・・・・と、思っておりますが。
2008年02月05日 (火) | 編集 |
「岡之屋形跡」

住所⇒神戸市西区櫨谷町松本(地図)
アクセス⇒神姫バス「松本」下車、徒歩5分
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−岡之屋形−

岡之屋形は「岡辺の宿」とも呼ばれ、明石の辺りを治めていた明石入道の娘・明石の上が
住んでいた所であります。
明石入道は、光源氏が須磨で寂しく過ごしているのを知り、
自分が住んでいた「浜辺の宿」に迎えました。
その浜辺の宿から光源氏は岡辺の館にいる明石の上の所に通うようになった・・・・・
「源氏物語」は小説なので、明石の上の父・明石入道のモデルになるような
地方豪族がいて、その邸宅の一つが、この近辺にあったのであろうと推測されます。
(西暦1300年頃、この周辺は明石氏が支配していました。
この明石氏と明石入道のイメージと重なるので、この明石氏がモデルでは??との
説もあります)
また、「源氏物語」の作者である紫式部が、須磨・明石を舞台に物語を展開できたのは、
恐らく、明石如意寺を再興した願西上人(=安養尼)から明石についてのさまざまな情報を
得ていたからと推察されています。
−−−−−−−−−−
この物語の世界を「明石の史跡」にしたのは、慶安2年(1649)に、丹波篠山城主から
第5代明石藩主になった松平忠国であります。
彼は明石藩の財政を豊かにするために林崎堀割・伊川谷堀割などを完成するとともに、
旅の人々に明石の史跡を紹介することによって観光収入にも着目したと思われる。
−−−−−−
碑には松平忠国の歌も刻まれております。
月影の光る君住む跡とえは里の屋敷にしげる蓬生
−ふるさと西区歴史たんけん、神戸の史跡を歩くより−
======================================
岡之屋形跡の碑のすぐ上(櫨谷川方面)に、なにやら看板が立ってる。

なになに・・・・松本自慢だって!!それにしても井堰って何??
大辞泉によると・・・水を他へ引いたり流量を調節したりするため、川水をせきとめる所とある。

向こうにちっちゃく見えるアレかな・・・・
この写真を撮ったとき、井堰の意味が分からなかったのでこの写真が精一杯。
訪れたら是非見ていってくださいね〜なんといっても松本自慢ですから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
オススメ度☆☆☆★★
何度も何度も読もう!!と思ってた源氏物語・・・・・未だ読めず(≧д≦)
・・・・じゃ、ないか、読まずであります。
きっと、読んでたらココがあ・・・・あの岡之屋形跡・・・・・(*ё_ё*)きゅん
ってなるんだろうけど・・・・ね。

住所⇒神戸市西区櫨谷町松本(地図)
アクセス⇒神姫バス「松本」下車、徒歩5分
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−岡之屋形−

岡之屋形は「岡辺の宿」とも呼ばれ、明石の辺りを治めていた明石入道の娘・明石の上が
住んでいた所であります。
明石入道は、光源氏が須磨で寂しく過ごしているのを知り、
自分が住んでいた「浜辺の宿」に迎えました。
その浜辺の宿から光源氏は岡辺の館にいる明石の上の所に通うようになった・・・・・
「源氏物語」は小説なので、明石の上の父・明石入道のモデルになるような
地方豪族がいて、その邸宅の一つが、この近辺にあったのであろうと推測されます。
(西暦1300年頃、この周辺は明石氏が支配していました。
この明石氏と明石入道のイメージと重なるので、この明石氏がモデルでは??との
説もあります)
また、「源氏物語」の作者である紫式部が、須磨・明石を舞台に物語を展開できたのは、
恐らく、明石如意寺を再興した願西上人(=安養尼)から明石についてのさまざまな情報を
得ていたからと推察されています。
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この物語の世界を「明石の史跡」にしたのは、慶安2年(1649)に、丹波篠山城主から
第5代明石藩主になった松平忠国であります。
彼は明石藩の財政を豊かにするために林崎堀割・伊川谷堀割などを完成するとともに、
旅の人々に明石の史跡を紹介することによって観光収入にも着目したと思われる。
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碑には松平忠国の歌も刻まれております。
月影の光る君住む跡とえは里の屋敷にしげる蓬生
−ふるさと西区歴史たんけん、神戸の史跡を歩くより−
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岡之屋形跡の碑のすぐ上(櫨谷川方面)に、なにやら看板が立ってる。

なになに・・・・松本自慢だって!!それにしても井堰って何??
大辞泉によると・・・水を他へ引いたり流量を調節したりするため、川水をせきとめる所とある。

向こうにちっちゃく見えるアレかな・・・・
この写真を撮ったとき、井堰の意味が分からなかったのでこの写真が精一杯。
訪れたら是非見ていってくださいね〜なんといっても松本自慢ですから。
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オススメ度☆☆☆★★
何度も何度も読もう!!と思ってた源氏物語・・・・・未だ読めず(≧д≦)
・・・・じゃ、ないか、読まずであります。
きっと、読んでたらココがあ・・・・あの岡之屋形跡・・・・・(*ё_ё*)きゅん
ってなるんだろうけど・・・・ね。
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