2008年01月06日 (日) | 編集 |
さてさて、新年一発目の記事はどうしようと思いまして、
今まで撮った写真を見ておりました。
無難に以前行った西区辺りの記事・・・・でいっかな〜
いやいや新年最初の史跡の紹介だし、やっぱ心に残った史跡の紹介をしたいなと。
心に残る史跡・・・・・それは、躊躇なく1位は関ヶ原!
でも、写真がないため・・・・断念。
2位は、以前紹介した敦賀城址(念願の場所でもあったので)・・・・、
3位は・・・・って事で写真をみておりました。
岡山城、高松城・・・・福井城、北の庄城址、柴田勝家の墓・・・・甲乙付けがたいな〜(・_・;?
で、あ!姉川があるじゃないか!!!!!と思い出しました。
行ったのは一昨年なんだけどねf(^ー^;
私的!心に残った第3位(今のところは・・・だけど)の姉川古戦場を紹介したいと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「姉川古戦場跡」

住所⇒滋賀県長浜市野村町(地図)
アクセス⇒JR「虎姫」、「長浜」下車、徒歩2時間ほど
私は貸自転車を利用していきましたが、すごくしんどかったです。
あまりに着かないので何度も何度も引き返そうと思ったほどです。
多分ではありますが、バスもあると思いますのでそちらを利用した方が良いと思います。
(本数がないため時間をチェックしていくといいですね)
お金に余裕があるならタクシーだけどねw
タクシーを1日借りきるっていうのも手ですね!そしたら色んな所行けるしね。
−姉川の風景−



思ったより浅かったです。川遊びができそう。
きっと、行楽シーズンにはたくさんの人が訪れるんだろうな〜
−姉川の戦い−

この姉川を挟んで北に陣取る浅井・朝倉連合軍は約1万8千人、
かたや南に陣取るのは織田・徳川連合軍は約2万8千人でした。
(姉川合戦各軍配陣図)
元亀元年(1570)6月28日午前5時頃・・・・・、
徳川方から仕掛けられたこの戦いは最初浅井・朝倉軍の方が優勢でありました。
織田方は、十三段構えの陣を十一段まで突破され、
信長の面前に刀、槍が突き出るまでに至りました。
しかし、徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、
浅井軍は右翼から崩れはじめこれに力を得た織田軍も総攻撃に転じ、
ついに浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走することとなりました。
決着がついたのは午後2時頃のことであります。
この戦いによる戦死者は、浅井・朝倉軍が1700余人、
織田・徳川連合軍も800余人とみられ、
負傷者はその3倍にもおよび、清らかな姉川の流れも数多くの死傷者によって
赤く血に染まったと伝えられています。
この後、一時和議が成立しましたが、
天正元年(1573)8月・・・・、浅井氏は小谷城において滅びました。
−説明板より−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
オススメ度★★★★★(≧ω≦)b
すごく良いです!!
正直、歴史書や小説・・・ゲームの中でしか知らなかった姉川の合戦の場所に自分がいる・・・・
立ってる・・・・
感動した!!!(古い・・・・か(爆))
これぞ史跡の醍醐味ですね。
でも、あまりに行くのに時間が掛かったため、貸し自転車の返却時間が迫ってしまい、
泣く泣くこの地を後にした・・・というのを、今でも強く記憶に残ってる。
ついでに石田三成生誕地も行こうと思っていただけに悔しいです!
是非是非訪れてくださいな〜ヾ(≧▽≦)ノ彡
今まで撮った写真を見ておりました。
無難に以前行った西区辺りの記事・・・・でいっかな〜
いやいや新年最初の史跡の紹介だし、やっぱ心に残った史跡の紹介をしたいなと。
心に残る史跡・・・・・それは、躊躇なく1位は関ヶ原!
でも、写真がないため・・・・断念。
2位は、以前紹介した敦賀城址(念願の場所でもあったので)・・・・、
3位は・・・・って事で写真をみておりました。
岡山城、高松城・・・・福井城、北の庄城址、柴田勝家の墓・・・・甲乙付けがたいな〜(・_・;?
で、あ!姉川があるじゃないか!!!!!と思い出しました。
行ったのは一昨年なんだけどねf(^ー^;
私的!心に残った第3位(今のところは・・・だけど)の姉川古戦場を紹介したいと思います。
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「姉川古戦場跡」

住所⇒滋賀県長浜市野村町(地図)
アクセス⇒JR「虎姫」、「長浜」下車、徒歩2時間ほど
私は貸自転車を利用していきましたが、すごくしんどかったです。
あまりに着かないので何度も何度も引き返そうと思ったほどです。
多分ではありますが、バスもあると思いますのでそちらを利用した方が良いと思います。
(本数がないため時間をチェックしていくといいですね)
お金に余裕があるならタクシーだけどねw
タクシーを1日借りきるっていうのも手ですね!そしたら色んな所行けるしね。
−姉川の風景−



思ったより浅かったです。川遊びができそう。
きっと、行楽シーズンにはたくさんの人が訪れるんだろうな〜
−姉川の戦い−

この姉川を挟んで北に陣取る浅井・朝倉連合軍は約1万8千人、
かたや南に陣取るのは織田・徳川連合軍は約2万8千人でした。
(姉川合戦各軍配陣図)

元亀元年(1570)6月28日午前5時頃・・・・・、
徳川方から仕掛けられたこの戦いは最初浅井・朝倉軍の方が優勢でありました。
織田方は、十三段構えの陣を十一段まで突破され、
信長の面前に刀、槍が突き出るまでに至りました。
しかし、徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、
浅井軍は右翼から崩れはじめこれに力を得た織田軍も総攻撃に転じ、
ついに浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走することとなりました。
決着がついたのは午後2時頃のことであります。
この戦いによる戦死者は、浅井・朝倉軍が1700余人、
織田・徳川連合軍も800余人とみられ、
負傷者はその3倍にもおよび、清らかな姉川の流れも数多くの死傷者によって
赤く血に染まったと伝えられています。
この後、一時和議が成立しましたが、
天正元年(1573)8月・・・・、浅井氏は小谷城において滅びました。
−説明板より−
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オススメ度★★★★★(≧ω≦)b
すごく良いです!!
正直、歴史書や小説・・・ゲームの中でしか知らなかった姉川の合戦の場所に自分がいる・・・・
立ってる・・・・
感動した!!!(古い・・・・か(爆))
これぞ史跡の醍醐味ですね。
でも、あまりに行くのに時間が掛かったため、貸し自転車の返却時間が迫ってしまい、
泣く泣くこの地を後にした・・・というのを、今でも強く記憶に残ってる。
ついでに石田三成生誕地も行こうと思っていただけに悔しいです!
是非是非訪れてくださいな〜ヾ(≧▽≦)ノ彡
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